自分の好きなものを何の憚りもなく語ってみたかった。
ネット時代の利点を生かした自己満足コンテンツでございます。
ただしボクの経験上、ネットの流行は信じるに値しません(暴言失礼)が、ネットの流行も加味した上で、そいつの言う「これは面白いベスト」まで言い切っちゃう「面白い」に、リアルガチの外れの大外れは少ないと思っています。
当たり外れ以前に趣味が全く合わないケースは…知りません。さあいってみましょう。
親父追放するわ重臣は敗戦で死なせちゃうわ、長男も切腹させるわ弟も戦争で失うわ、挙げ句家督を愛妾の息子である四男勝頼に譲っています。
信玄公の目的は上洛であり、武田幕府を開くことだったのでしょう。
稀代の名将がなんで遠回りした上に失敗したのか。逆説的にその辺の人間臭さが作中では信玄公を英雄にしています。
能島水軍の頭領の娘は、当時の日本人的美的感覚からすればブサイクです。しかし当時海外と接点を持つ摂津国、河内国あたりの価値観じゃあ際立つ程の美人です。
そんな美人が美人の自覚がないまま、挫折を経験しつつも大暴れする、
うーん言葉が正しいか分かりませんが、なんともラノベチックな展開でそこが読み易さの秘訣なんですな。
当時の東北地方は、中央と呼ばれる京都・奈良にとっては、蝦夷と呼称する言わば被差別地方でした。アテルイは蝦夷人の誇り、よりも蝦夷人の子孫達のために戦い続けました。
志を持ったアテルイと、志に共感する田村麻呂。待っていたのは二人にはどうしようもない権力構造と、それさえ利用するアテルイの持つ熱き魂なのであります。
参勤交代の目的は各藩のフトコロを削る目的もあったでしょうが、本来は有事を想定した軍事訓練でした。時代が下がるにつれて、戦は無くなり、制度は形骸化していきます。制度が形骸化すれば中の人間も怠けます。
そこに一本の筋を通そうとした人物がいたら、まずは冷笑もしくは引くのがオチです。でも筋を曲げずにやり遂げたなら?
どこかユーモラスなのに、悲哀などとは無縁の高潔さ、実に一路の魅力なのです。
資源は乏しく希望は細く、その日暮らすのが精一杯の男たち。しかし節度を守り決して人間であることを捨てなかった男たちには、一つの閃きから、各々が持つ細い希望がチームワークという太い希望へと束ねられて、やがて立ち上がるに至ります。
著者は少ない資料の中で、著者ならではの取材力と想像力で書き上げたそうです。著者のノンフィクションものは面白いので歴史小説に限らず読みましょう、特に羆嵐。
江戸時代における暦を、より正確な暦に改める事が主題のお話です。
暦を変えるって度量衡を変えるようなもんです。しかも権力やお金で変えるのではなく、その正確さの実証によって変えるのです。
理系の天才たちの頭の中は理解し難いですが、真理を焦がれるその様は非常に感じ入ります。 人間が歳を喰っても、時代が変わっても、変わらないものがあるんですね。
主君を変えた数は大名としては戦国時代一、なのに後世に悪評が残っていないのは、間違いなく幽斎本人が頭が良かったからでしょう。
関ケ原の合戦の”もしかして”を書いたフィクションではありますが、当時の前田家の影の薄さと幽斎の才覚があれば、この物語のような第三勢力を作れたかもしれない。
歴史考証とフィクションを上手く両立させた、いわゆる”歴史・時代小説”好きを満足させてくれる小説です。
状態は悪く、本は日に焼け埃も付いた、創業の古い古本屋にあるような独特の匂い。決して心地良い匂いではないけれど、そんな匂いがピッタリな僕のお宝、藤沢周平全集。
もう絶版らしく、一部抜けた巻が手に入りません、全部集めたいなぁ。
お話は短編集です。表題作以外でも、一見冴えない武士達が、己の誇りであるもしくは誇りだった剣技をかけて、己の運命と対峙します。
短編ならでは味わえる”一呼吸”、”刹那”、”運命の転換”。
短編集なので今回紹介している小説の中でも1話が短いです。このジャンルに興味ある方は、藤沢周平の短編から入ることをお勧めします。
ブレイクタイム
細かいことはいいんだよ。主人公柳生十兵衛が、宮本武蔵や、宝蔵院や、小野忠明は居たかな?そんなビッグネームとチャンバラ合戦です。
柳生は忍法にも通じてまして、柳生の連れが忍法使ったり使われたり、というか忍法って言えば何でもアリだから、とは著者がインタビューで答えた台詞。
真面目に読むとバカバカしいけれど、発想と表現は壮大壮絶な娯楽小説です。ハマる人はドハマリしますんで、忍法帖シリーズ全部読みましょう。
当時は内乱が一息つき、武家の価値観が戦国時代の価値観にある雄々しさ、荒々しさから、面子第一お家が第一に変わっていった期間でもあります。
面子第一の者が人の上に立ち、権力を持ったらどうなるのでしょうか?人々が困窮しただけではない、人が持つ価値の秤を弾圧されたならどうなるのでしょうか?
それらは混じり、一時的な熱狂、しかし相手は巨大である絶望的な反乱へと繋がっていくのでした。
有名な天草四郎にはそれほど触れていません。反乱軍の軍事的指導者にスポットを当てた作品です。藩主松倉勝家は、江戸時代中でも珍しい斬首刑に処された(武士の死刑は切腹が大半)ことで、籠城軍37000人の魂は少しでも安らいだのでしょうか。
ご存知火付盗賊改方長官、長谷川平蔵こと鬼の平蔵が江戸の悪をぶった切ります。
何より魅力は平蔵その人の魅力。役付きの旗本という言わば貴族の出身で、決して道徳的ではない人柄ながら、下々の情に通じ、部下の義に通じ、上司への忠に通じる男。
そんな鬼平の元に集まるのも、一芸も二癖も持ちながら、鬼平に感化された人たちです。
一方的な正義なんて本当なら怪しいもんですが、義・情・忠・悌が集まり行使される正義には肩入れして当たり前なのです。
犯科帳はフィクションですが、長谷川平蔵は実在の人物だそうです。彼は田沼意次に賄賂を贈る人物であり、庶民の中で豪快に金を使い、人足寄場を作った人物だそうです。この事実をどう受け止めるかは読者次第。
関ヶ原合戦時、薩摩島津の当主、島津義弘を主人公とした小説です。
前当主義久は弟の義弘に嫉妬し、徳川家康は小心者だった、という描写を売りにしていました。応仁の乱のそれ以前から明治維新に至るまで存在感抜群の薩摩の一当主と、数々の物語の主人公を務めた家康の、あえてネガティブなイメージで宣伝しようなんて、逆にこの小説の面白さのマイナスになります。
関ケ原合戦では微妙な立場となった島津を、薩摩隼人の持つ強くて不器用なイメージもそのままに、義弘視点で真正面から書いたのが本作です。
徳川・石田視点の関ヶ原に飽きた方は是非読んでみてはいかがでしょうか。
じゃあ何故ぼんくらを選んだか?それは「ぼんくら」がいかにも現代劇風だからです。
昼行灯でぼんくら同心、主人公の平四郎に、道義に通じた政五郎親分、親分手下の三太郎に名探偵のような弓之助。役者が揃って解いていくのは、長屋に起こる些末な事件があれよあれよと…
物語の作りは流石の宮部みゆきです。だからといって時代考証を疎かにしている訳ではありません。僕のような一言多いオタクも満足の”時代小説”なので、宮部みゆきが好きな人も社会派ミステリーが好きな人も当然時代小説が好きな人も、おすすめの一冊です。
やはり日本人的美学美意識は、僕にとっては表面上はくだらないよう装っているつもりでも、どこかに滲み出るものなんでしょうか。
舞台は大坂城、大阪冬の陣、夏の陣に至る豊臣家の滅亡への道程を、大坂城側視点で描いています。秀頼とは?淀君とは?又兵衛や幸村とは?豊臣恩顧の大名たちは?
流石の司馬遼太郎の情報収集と分析、それを筆に載せる技量。滅びの美学を持つに至った描写と、判官贔屓により大坂城側に肩入れせずにはいられません。
滅ぶことなんて美学でもなんでも無い、と現代に生きているから言えますが、当時に自分が居たら、どう”生きた”のでしょうか。
人生とは選択の連続ですが、もし時代・身分・性別・生い立ち、自らの手ではどうしようもない運命によって、人は勝手に選択されるのならば。
主人公の文四郎に、選択の余地はありませんでした。嫉妬に巻き込まれ、政変に巻き込まれ、陰謀に巻き込まれます。
しかし彼には宝物が2つありました。剣の道と友情です。
彼に選択の余地はありませんでした。しかし彼に悔いはあったのでしょうか。
なーんて爽やかかつちょっぴりセンチメンタル気分を読後感に残す、時代小説の青春小説です。
隊士の中ではケチで有名だった主人公は、こう口にするのでした。
わしが立ち向かったのは、人の踏むべき道を不実となす、大いなる不実に対してでござんした。
この言葉です。僕はこの言葉をコピペして、いつでも読めるようにしてあります。
後日に加筆・修正する可能性はひとまず置いとくとして、
以上で僕のおすすめする歴史・時代小説はお終いです。
選んでいて思ったのが、ネット上の他の方がおすすめするこのジャンルと、それ程違いはありません。
他に挙げていない著者で言えば、多分、「大水滸伝」「陰陽師」「影武者徳川家康」「蜩ノ記」「みをつくし料理帳」辺りをベストに挙げる人が多いんじゃないでしょうか。
僕も異論はありません。
ただ裏を返せば、定番の評価を覆すような時代小説は出ていないということでもあります。
ブックオフじゃ一つのコーナーが作られるほど人気ジャンルなのに、です。
僕も含めたオタク連中は歴史考証がああだこうだと五月蝿いだろうけれど、作家の皆様はどうぞよろしくお願いします。
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